企画書
大阪らしさはどこへ行ったのだろう
表現意義目的
大阪らしさはどこへ行ったのだろう
アホの街 大阪。その中心地 グリコ道頓堀。そこは、人情の街と言われたが、今はアホとヨッパライとドロボーと詐欺師しかいなくなった。挨拶は、おはようございますではなく、
アホ向こう行け。排他的経済水域どころじゃない。
排他的差別的暴力的暴言的卑怯秘境卑劣通りになってしまいました。
人情の町 道頓堀どこへ行ったのでしょう。
道頓堀の傘はなくなりましたか。
おかしな街だった。
50年前、小学校時代から
学校が暴力教師が多く、
在日小学生だけじゃなく、
誰でもゲンコツ頭だった。
それが、目に当たった学童もいました。
中学校高校も暴力教師がいなくなれば暴力生徒が多くなりました。
自分自身もそうなっていきました。
何が楽しいのでしょうか?
実際は、さらにひどくなって、いじめ虐待当たり前世代になりました。
知りませんでした。
驚きました。
教育とは、殴って教えるものだったのですか?
ストレス発散で、先生が、後ろから生徒を殴って蹴るものなのですか。
2012年大阪のバスケット部高校生主将が、自殺したのは、暴力教師のためでした。
変わっていない大阪の街。
変われない大阪。
その暴力教師は、スポーツは殴って強くなる本を見せて忖度責任転嫁をしました。
校長先生は、忖度ニヤリ笑いしていました。
近畿財務局職員も亡くなりました。
生きづらい街大阪
セコい自分自身を見ています。
どうしてバカファースト思考と思慮深いスロー思考を選ぶならば、大阪は、バカファースト思考です。
人を信用したいから。世の中、いい人ばかり。大阪は、詐欺師ばかりとわかっているから。何もかも早く速く即決即断。速さだけが取り柄。ゾンビに勝てるのは速さだけだ。自分もゾンビ鬼なってるぞ。
あとからゴメン。やれと言われてやってしもた。大阪弁が、やっと出てきました。そやな。大阪弁で行こう。大阪らしさ出そう。
大阪弁で行こう。コロナも
大阪弁で飛ばせ。